東野圭吾(ひがしの・けいご)
【長篇】
使命と魂のリミット[weblog]
容疑者Xの献身[weblog]
幻夜
殺人の門
手紙
ゲームの名は誘拐
トキオ
レイクサイド
片想い
白夜行
私が彼を殺した
ある閉ざされた雪の山荘で
【短篇集】
黒笑小説[weblog]
超・殺人事件
予知夢
嘘をもうひとつだけ
名探偵の掟
【エッセイ・NF】
夢はトリノをかけめぐる[weblog]
さいえんす?[weblog]
「週刊プレイボーイ」連載に加筆訂正。名作『白夜行』(集英社)の姉妹作。
1995年。工場の経営難を苦に自殺した父親の通夜の日、雅也は叔父に借金の返済を迫られる。亡父は叔父にそそのかされて仕手株に手を出していた。二人は死亡保険金の残りを充てることで合意するが、その直後に大地震に襲われる。雅也は梁の下敷きになっている半死半生の叔父を混乱に乗じて殺害し、借用書を手に入れるが、立ち去ろうとした彼の目の前に若い女が立っていた。彼女の名は新海美冬。極限状態で出会った二人は惹かれ合い、やがて新天地、東京へ旅立つ。
東京の町工場に再就職した雅也は、請われるがままに美冬の仕事に手を貸すが、次第に彼女の過去に疑問を持つようになる。あの大災害の朝以来、苦楽を共にしてきた女はいったい誰なのか――。
傑作である。物語の背景は阪神大震災から西暦2000年、ミレニアムに向かう年月。殺人という罪を背負う男と過去のない女のいびつな関係を縁取るのは、不景気、異臭騒ぎ、ストーカー、カリスマ美容師、美容整形など世相の象徴ともいうべき事ども。すべてが無理なく巧みに織り込まれている。その隙間を極上のミステリーが縫って行くのだから、これはもうページを繰る手が止まらない。この冬一番のおすすめ。
あと、これはネット書評界でもあまりにも語られない問題なので、とくに補足しておく。男性作家の場合、どうしても服飾方面が弱くなる傾向があるが、本作は女性読者が納得できるレベルに達していると思われる。手抜かりなく、お見事。
2004.1.30初版。初出「週刊プレイボーイ」01年19/20号〜03年16号。あの『白夜行』の続篇。とは言っていないが、まあ続篇ですな。 帯には“名作「白夜行」から4年半。あの衝撃が、今ここに蘇る。”とあります。
その『白夜行』をまた読み返さなくてはならない気持ちにさせられる作品でした。傑作。
今回の幕開けは阪神大震災。その前々日に父を失った雅也は、震災によってすべてを失い、その日に偶然出会った運命の女美冬と行動を共にすることになる。
あとは読んでのお楽しみ。
『KADOKAWAミステリ』2000年1月号〜2003年4月号に掲載された同名連載を加筆訂正。少年時代から20年間もの間、殺人衝動を抱き続けた男の心中を克明に描く。
主人公の田島和幸は開業医の一人息子。歯科医の父と勝ち気な母と祖母の四人家族。祖母は寝たきりで介護のための家政婦が雇われている。和幸が小学五年生のときに祖母は死ぬが、折り合いのわるかった母が姑を「毒殺」したという噂が流れ、ついには両親の離婚に至る。歯科医を廃業した父とともにアパート暮らしを始めた和幸は、転校先の学校で壮絶ないじめに遭う。殺してやる、こいつら全員をいつか殺してやる――和幸の幼い殺人衝動は、彼をインチキの賭け五目並べに誘い、呪いのチェーンレターを仕向けた親友、倉持修に向かう。だが、決行当日、和幸は倉持独特の話術に惑わされ殺意を失う。それは和幸の20年間に及ぶ苦悩の始まりだった。
ごく正直な男が身近な人間の悪意によって絶え間なく人生を狂わされる様は“生殺し”という言葉がぴったりである。毎回同じパターンで陥れられ、言いくるめられるのだから、まったくもっていらいらさせられる。逆に、和幸に対して悪意を持ち続ける倉持という男に嘘くささを感じるが、そこはさすが東野圭吾、手抜かりはない。
人を憎んでいる間は、決してそこから逃れることはできない。一気読み必至の力作。秋の夜長におすすめ。
2003.3.1初版。初出「毎日新聞日曜版」連載2001.7〜2002.10。
両親を亡くし高校を中退して働く武島剛志の願いは、できのいい弟を大学に行かせること。しかし無理がたたって身体を壊し、職を失う。八方ふさがりの剛志が思い浮かべたのは前に仕事で行った資産家宅だった。住んでいるのは老婦人ひとり。捕まりっこない――だが、盗みに入った剛志はドライバーで老婦人を刺し殺してしまう。その日から弟の直貴は「殺人犯の弟」として生きることを余儀なくされる。自力で高校を卒業し、就職した直貴のもとに月に一度、兄からの手紙が届き始める。
せつない話である。たったひとりの弟を心配させまいと手紙を書き続ける兄と、その存在に苛まれる弟。15年という歳月を丁寧に描くことで成功している。とくに『白夜行』(集英社刊)ファンにおすすめ。
2003.3.15初版。毎日新聞の日曜版に1年以上にわたって連載された(2001年7月1日から2002年10月27日)長篇小説。
主人公は武島直貴。二枚目だし頭もいいし歌もうまい。誰からも好かれる性格も持っている。が、彼にはひとつだけ、ひたすら隠し続けなければならないことがあった。兄――たったひとりの家族――が強盗殺人を犯して服役中なのだ。そのため彼は、大学にも進学できず、アパートも追い出され、ろくな働き口もみつからない。
東野圭吾Aの真骨頂とでもいうべき(東野B圭吾は冗談路線ね)重いテーマを、ガツンと書ききった傑作。主人公直貴にはなんの罪もない。兄が犯罪者なだけ。なのに彼の行く手には不条理が立ちふさがる。隠しても、告白しても、人は彼から遠ざかっていく。犯罪加害者の家族に人権はないのか。
難しい問題だ。もし身近にそんな人がいたら。その人に罪がないことはわかっている。が、その人の家族である服役囚が出所して、近くに現れるとしたら……。自分の愛する人の家族が殺人犯だったら……。口でいうのはたやすい。しかし、現実にはどうか。
そして、掌を返されたとき、犯罪加害者の家族はその怒りをどこにぶつければいいのか。
主人公がさいごに下す決断は、私には否定できない。人間というのは愚かで哀しい。是非ご一読を。
2002.11.25初版。初出「Gainer」2000.1〜2002.6。『青春のデスマスク』改題。
広告代理店に勤務する「おれ」は、ある夜、クライアントである自動車会社の副社長の屋敷へ向かう。企画を没にされた理由を問いただすつもりだった。門前払い覚悟で屋敷の回りをうろつく「おれ」の目に入ったのは、塀を乗り越えて外に出た若い女。あとをつけた「おれ」に家出を告白したのは、訳ありの副社長令嬢だった。
犯人側からのみ描かれる、ちょっとかわった誘拐小説。冒頭からずばりと切り込んで行く早い展開で飽きさせないところはさすが。なにより、犯人である「おれ」に同情できないところがいい。傲慢で嫌味な男に描いて成功している。
2002.11.25初版。初出「Gainer」00年10月号〜02年6月号。
「前代未聞の誘拐小説!/事件は犯人側からのみ描かれる。/果たして警察は動いているのか?」(帯表1)
というわけで、いかにも東野圭吾っぽい仕掛けたっぷりのミステリー。犯人は、とある大企業令嬢を誘拐する。ストーリーは帯にもあるように犯人の視点のみ。令嬢の父親がどんな行動をとっているのか、犯人にも読者にもわからない。無事に(というのもおかしいが、なにしろ一方の情報しか与えられないのだから読者は自然と犯人側に肩入れすることになる)身代金を奪えるのかどうか、人質を解放しかつ逮捕されずにいることができるのかどうか、普通のミステリーとは逆の“サスペンス”が楽しめる。
『手紙』にくらべると気楽に、純粋に娯楽として読めた。この2冊をほぼ同時期に書けるというのが東野圭吾のすごいところだと思う。
2002.7.18初版。「小説現代」2000年6月号〜02年6月号に掲載。
“1979年浅草。時を越えた奇跡の物語”(帯)
不治の病におかされた息子を見守る宮本は、妻に語りはじめる。
「ずっと昔、俺はあいつに会ってるんだ」
えっ、と麗子は首を傾げた。「どういう意味?」
「今から二十年以上前だ。俺は二十三だった」
(略)
「あいつは時間を超えて、俺に会いに来たんだよ」(p20)
息子が、若き日の父親に会いに行く、というのは(外国作品では)さほど珍しくはないようにも思う。あ、もっともたいてい恋愛関係にある男女のどちらかが時間をさかのぼるパターンが多いか。
タイムトリップものは好きなんですが、79年というのはなんとなく中途半端な「むかし」具合ですな(じゃあ何年前ならいいんだ?)。
頭としっぽはさすがにうまいのですが、胴体がすこし間延びしてしまったか。
宮本拓実の高校生のひとり息子時生は、難病グレゴリウス症候群で死の床にいる。なすすべもなくたたずむ妻に、拓実は不思議な体験を語る。――未来から来たんだ。あと何年かしたら、あんたも結婚して子どもをつくる。その子にあんたはトキオという名前をつける。その子は17歳のとき、ある事情で過去に戻る。それが俺なんだよ。1979年、浅草。時を超えた奇跡の物語。
17歳の息子が23歳のときの父親に会いに行くというお話。例によって北上次郎が褒めちぎっているが、『秘密』のような輝きは感じられない。
2002.3.25初版。「週刊小説」連載(97/2/7号〜9/5号)の『もう殺人の森へは行かない』を下敷きに新たに書き下ろし、と奥付対向にはあります。ま、大幅加筆修正、ってことなのかな。
妻とその連れ子が参加している受験勉強の合宿に出向いた主人公。四組の夫婦、四人の小学生、そして塾の講師。なにごともなく終わるはずだったのだが、主人公の愛人が突然別荘地を訪れたから話がややこしくなる。愛人は、なんと主人公の妻に殺されてしまい、主人公以外の夫婦たちは自己保身のため、殺人をなかったことにしようと死体遺棄に向かって突っ走る──。
そんなあほな。と思わないでもないですが、さすがに東野圭吾ですから破綻はありません。手堅くまとめています。
しかし、愛人が殺されたにしては主人公落ち着きすぎではないか。ささいなことですけど。 さすが実業之日本社といいますか、ナイスな誤植が。
その下のスペがスにバッグを置いた。(p129)
なんで「ー」が「が」になるんだあ?
愛人を殺したのは妻――夫は遺体を湖の底へ。中学受験を控えた子どもたちの勉強合宿のため、4組の家族が集まった湖畔の別荘でいったい何か起こったのか。
「週刊小説」連載「もう殺人の森へは行かない」を下敷きに新たに書き下ろした長編本格サスペンス。
整いすぎててつまらない。夫は夫らしく、妻は妻らしく、子どもは子どもらしく、愛人は愛人らしく。2時間ドラマのキャスティングが目に浮かぶようだ。そういうのが好きな人向け。
2001.6.20初版。「小説新潮」掲載の、メタ・ミステリー、というよりギャグ・ミステリー短篇集。帯には“衝撃作”だの“日本推理作家協会除名覚悟”などとありますが、それほど過激ではない。まあ冗談なんでしょうけれど。
推理小説家や出版業界をからかった調子の短篇が8篇。どこか全盛期の横田順彌を思わせないでもない雰囲気。こちらのほうが、理性的ではあるかもしれないが。もうちょっと毒があってもいいように思うのだけれども。
蒸し暑い夜の寝酒代わりにどうぞ。
2001.3.30初版。初出は「週刊文春」99年8月26日号から00年11月23日号。
ジェンダー・ミステリーとでも呼びますか。東野圭吾って、純推理以外では、毎回いろんなテーマに果敢に挑んでくれるので好感が持てる。
主人公は、フリーライター西脇哲朗。大学時代はアメリカンフットボール部のQB。当時の女子マネージャーのひとりと結婚している。同窓会の帰り道、もうひとりの女子マネ日浦美月が、学生時代とはまるっきり違う姿で現われる。美月の窮地を救うために行動を始める同窓生たち……。
というようなお話です。基本は殺人事件なんだけど、メインとなるテーマは性同一性障害。わかりやすく整理され(しかし結局当事者以外にはよくわからないということも含めて)解説されており、読みやすい。学生時代のクラブの仲間たちと、いい大人になってもだらだらとつるむという感じはわかりませんけどね。
2000.6.20初版。天才科学者湯川が、大学時代の友人である刑事が持ち込む(ちょいとオカルトがかった)難事件を“科学的な”手法で解決する連作ミステリー5編。『 探偵ガリレオ』につづく第二弾である。
理系出身の著者らしく、探偵湯川の説明は理に落ち、切れ味爽快。ただ、まあ続けて読むと飽きるかも。
2000.4.10初版。「IN☆POCKET」「小説現代」にのった短編が5本。『眠りの森』などでおなじみの東野キャラクター、練馬署刑事の加賀恭一郎シリーズ。
犯人のついた、ささいな嘘から加賀が真実を暴くというような系統なので、どれも似たような印象になってしまうのが残念。むずかしいところですな。そういうテーマにそっちゃうと、どうしてもわかりやすくなってしまうわけだ。しょうがないんだろうけど。(2003年2月講談社文庫刊)
1999.8.10初版。堂々500ページ、堂々二段組み。小説すばる掲載の連作を再構成した、東野圭吾畢生の大作。ミステリーといえばミステリーなのですが、なんというか大河ミステリーとでもいうべきか。大々的な力作です。
これ、すごいっす。んー、筋を紹介しづらいんですが、主要登場人物2名をめぐる20年にわたるクロニクルとでもいったらいいのかな。
話に引きずり込まれ、一気に近いペースで読み切りました。個人的にはラストにじゃっかんの物足りなさを感じたりしましたが、そんなことは別にしても読む価値あり。(2002年5月集英社文庫刊)
『秘密』がすばらしかった東野圭吾の新作。路線はこれまたあの怪作/快作『どちらかが彼女を殺した』ラインである。購入当日の一気読みなんて久しぶりだ。
んでもって期待通りの迷作。いや、困ったちゃんな作品というわけではなく、どうしたって迷っちゃう作品なのであった。なにを書いてもネタバレになってしまうので(正確にはネタバレにはなりえないんだが)困るぞ。ようするに、最後まで犯人が明かされていないのだ。(2002年3月講談社文庫刊)
本格推理パロディ短編集。よくわからんな、それじゃ。
天下一シリーズである。おかしいぃぃぃ。まあ作者自身のスタンスはともかくとして(笑)、これでトラベルミステリーも新本格も敵に回したのではないかと……。わーい。いや別にどちらにも恨みはないのだが、トラベルミステリー命・浅見様十津川様キャサリン様命みたいなのとか(いねえか、そんなの)、新本格命・島田様綾辻様命みたいなのとか(これもいねえな)、極端なファン(フリークといったほうが正しいかもしれん)意識ってのは嫌いだからいいのである。下手すりゃ作家がそのファン意識を持っていたりして、ますますややこしくなるのだが。東野にはこの調子で笑い飛ばしてほしいもんだよ、ほんとに。
で、この本、笑えます。『怪笑小説』や『毒笑小説』ともまた違った意味で“おかしい”。『仮面山荘殺人事件』『回廊亭殺人事件』の路線――いわゆる本格推理系か――というのはあまり好きではなくて、東野らしさが出ているとも思えないのだが、そのあとの『ある閉ざされた雪の山荘で』になってなんとなく妙な感じがし、この『名探偵の掟』でぶちかましてくれたなーという印象である。東野圭吾自身が、ミステリーへの愛情ゆえにこういうものを書いたのか、あるいはもう七面倒くさい“コード”に嫌気がさしたのか、知るすべはないが、どっちかっていうと後者だったら嬉しいかも。なんでかわかんないけど、いろいろばかばかしいことしてくれたほうが楽しいじゃん。(99年7月講談社文庫刊)
再読。法月綸太郎の解説がついていたので。ノベルスも持っているのだが、まあいいや。
本格系の『仮面山荘』『回廊亭』に比べれば出来はいいのだが、個人的には『同級生』(名作。ただし、解説は最悪。)『変身』『分身』路線の方が好み。新本格に対するいろいろな思い(嫉妬か羨望かそれとも敵愾心か仲間意識か)がある、という前提で読むのも一興。かなあ。わしゃジャンルはどうでもええ。面白けりゃそれでええ。
法月の解説は、どうも「東野さんはほんとはこっちの人なのよ」的な媚びた雰囲気がしていやだった。
last updated : 2007/06/03
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