« 『文藝春秋』2007年10月号○ | Blog Top | 『新潮45』2007年10月号○ »

September 27, 2007

岡井崇『ノーフォールト』○

 大学病院に勤務する若き産婦人科医師、柊奈智は当直の夜、容態が急変した胎児を救うため緊急帝王切開手術を行う。手術は成功するが、術中に大量出血を起こした母体の経過はおもわしくなく、一週間後に死亡してしまう。病院側が原因究明とマスコミ対策に奔走するなか、じぶんを責め続ける奈智。婦人科への異動、また当直免除など医長らのはからいで再起をめざすことになるが、そんな日々のなか、病院に奈智の名を被告に連ねた訴状が届く。
 現役の産婦人科医師が書いた医療サスペンス小説である。著者は昭和大学医学部産婦人科学講座主任教授。プロフィールの趣味欄に「ミステリ小説」とありはするものの、「文学青年でもなければ日記をつけた経験もなく、手紙を書くことすら嫌い」という著者の勇気ある行動にまずは敬意を表したい。
 医療事故を報じるテレビニュースで、記者会見にのぞんだ病院関係者が頭をさげる映像がめずらしくもなくなったのはいつ頃からだろうか。視聴者の感想は、「お気の毒にねぇ」といったようなものが大部分であろう。むろん患者の立場からの感想である。そして次の瞬間には忘れる。丁寧に説明されてもよくわからないし、それ以前にしょせん他人ごとである。わが身をふり返ってみても、医療はいまだに“おまかせ”の世界なのだ。どうあがいても死んだ家族は生き返らない。訴えて、たまさか全請求が受けいれられたとしても、愛する者をうしなった悲しみが癒されるとはとうてい思えない。だからといって、なにもしないではいられない心情は理解できる。しかし病院側にも事情なり言い分はある。そこで、この小説のタイトルでもある「無過失(ノーフォールト)補償制度」が意味を持ってくる。医師の過失の有無にかかわらず、患者側に補償金を支払う制度である。
 わが国の医師不足に関する問題が新聞・雑誌などで報じられて久しい。最近では「文藝春秋」10月号の特集「最高の医療」に、“医療崩壊”の原因をさぐったルポルタージュが掲載されている。その筆者は、勤務医の過重労働を「夜通し長距離バスを運転した上で、朝の通勤・通学バスを運転するようなもの」と表現している。本書の主人公、柊医師のおかれている状況がまさにそうで、当直勤務を描いた冒頭から濃い疲労感が伝わってくる。現役医師としての思い入れからだろう、やや感傷的にすぎる描写もありはするが、小説というスタイルを借りるという選択はただしい。彼女がシングルマザーであるという背景をふくめ、患者の死をめぐる懊悩は強い印象を残す。こうしたことはノンフィクション作品ではできない。
 医療を提供する側が構造的な問題をかかえているかぎり、患者側もそれなりの覚悟が必要だ。何事も、あすはわが身である。北欧などですでに導入されている無過失補償制度の必要性を訴えるとともに、医療崩壊の現場をリアルに告発した本書は、これまであまりにも知ろうとしてこなかったわたしたちに、考え方の道すじを示してくれるだろう。

★★★★(2007.8.31 白犬))

早川書房 1600円 978-4-15-208808-6

posted by Kuro : 19:44

trackbacks

このエントリーのトラックバックURL:
http://dakendo.s26.xrea.com/blog/mt-tb.cgi/361

comments

コメントをどうぞ。




保存しますか?