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October 08, 2005

浅田次郎『憑神』●○

 2005.9.20初版。初出「小説新潮」2004年9月号〜2005年5月号。
 婿入り先から離縁された貧乏旗本の次男彦四郎は、兄のもとで居候の身。職もない彦四郎はおもわず荒れ果てた祠を拝んでしまうが、そこはなんと貧乏神の祠だった。
 浅田次郎の人情時代小説。クスブリもの、ですかな。浅田次郎の時代物はけっこうまじめなものが多かったのでそのつもりで読み始めたら、笑える話でした。いや、もちろん泣かせるところは泣かせるんですがね。“涙と笑いの浅田節”(帯)は健在でございます。
 正直で頑固な「武士」対貧乏神たちのやりとりがおかしい。

 その灼(あらたか)なる御徒士の道を、「多勢に無勢」という神の一言が思いがけずに照らしてくれた。
「お言葉ではござるがの」
 と、彦四郎は神に向き合った。
「物事の道理は、数の多寡で決まるものではござらぬ」
 彦四郎の気魄に睨み倒されんばかりに、疫病神の巨体はずいと退いた。(p.165)

 幕末、貧乏神が憑いても憑かなくても、終わりゆく古き良き武士道。その花道やいかに。

★★★☆(2005.10.5 黒犬)


 初出「小説新潮」2004年9月号〜2005年5月号。
 貧乏旗本の次男、別所彦四郎。学問もさることながら、直心影流男谷道場免許皆伝の彦四郎は、その才を見込まれ、実家とはくらべようもない家に婿入りするが、男子を授かったとたん離縁される。三十をすぎた無役の出戻りの肩身はせまい。そんな彦四郎が出役出世を願って拝んだ「三巡稲荷」なる祠は、なんと人に仇なす神様であった。時は幕末。誇り高き三河武士の運命やいかに。
 ホラー小説じみたタイトルにしてカバーイラストの破れ祠もおどろおどろしいが、ご安心めされい。涙と笑いの浅田節がさえわたる長編時代小説。彦四郎の前に姿を現す神様も、ボロ布をかぶったスターウォーズのシスみたいなおっさんではない。たとえば、やたらと気前のいい貧乏神はこんな人。

 齢のころなら五十のあとさき、鬢白髪に艶を感ずる、なかなかの男ぶりである。着物は渋好みの路考茶だが、よく見れば麻の葉の模様が沈んでいて、黒縮緬の襟に合わせているところなどは相当の洒落者であろう。羽織は黒無地の絽で、肩が角張って見えるほどの鏝が当てられているのは、女房だか妾だかの始末のよさを感じさせた。(p.31)

 そしてさっそく別所家は厄災にみまわれるが、彦四郎がどう立ち向かうかは読んでのお楽しみ。
 著者は新聞インタビューで「時代小説を読まない人たちも引き込みたい」と語っているが、なるほど、神様はもとより蕎麦屋の親爺、また元配下の小文吾と彦四郎とのやりとりは名人の落語を聞いているような気にさえなる。もちろんファンには読みどろこ満載。1500円はまったくもってお買い得。

★★★★☆(2005.10.10 白犬)

新潮社 1500円 4-10-439402-5

posted by Kuro : 16:16

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