村上龍(むらかみ・りゅう)
【長篇】
●共生虫
悪魔のパス 天使のゴール
最後の家族
希望の国のエクソダス
【短篇集】
【エッセイ・NF】
アウェーで戦うために
文体とパスの精度(中田英寿と共著)
eメールの達人になる
『希望の国のエクソダス』取材ノート
2003.3.15初版。「群像」に98年から99年にかけて断続的に掲載され、00年3月に単行本として出版されたものが親本。
テーマは「引きこもり」と「ネット」。相変わらずですなあ村上龍。
2002.5.10初版。nakata.netに連載した小説。なもんだからもちろん中田系です。なんだよ中田系って。
ともあれ主人公は村上龍の小説では常連のヤザキケン――小説家でもありキューバにも詳しい。で日本人にしてセリエAメレーニアのプレイヤー夜羽冬次(ヤハネトウジ)。いうまでもなく村上龍と中田英寿の分身である。メレーニアは架空のチームだが、それ以外はチーム名選手名、実名がどんどん出てくる。デル・ピエーロ、インザーギ、ジダン(レアルマドリーに行く前のシーズンだからね)などなど。メレーニアと冬次をペルージャとヒデに置き換えれば、だいたいOKでしょう。
死を招く最強のドービング剤「アンギオン」。イタリア、南フランス、キューバと謎が拡がり罠が待ち受ける。そして、セリエA最終節の死闘。日本人選手冬次は果たして死の罠から生還できるのか――。
というのが帯表1。さらに中田自身の推薦文がある。
これだけ緻密にサッカーを描いた小説を読んだのは初めて。ストーリーにドキドキしながら、ぼく自身、「言葉で展開するサッカー」を楽しみました。
ストーリー自体は単純で、結末も多少拍子抜け。しかしまあこれはストーリーを楽しむというよりも、ヤザキ・ヤハネ(=村上・中田)の関係やらサッカーやらを楽しむためのもの。ほぼ同時期に彼らの対談集『文体とパスの精度』が出たので、小説を読むまでもないという気がするが(だってネタは相当ダブってるもんなあ)むしろ商売の上手さに感心してしまう。
“トウジ”という名前(あの『愛と幻想のファシズム(上・下)』のトウジである。あちらは冬二だが)を中田に捧げた村上龍が、サッカーブームのあとにどっちに向かうのかわからないが(笑)、W杯の狂騒にはふさわしい一冊といえる。かもしれない。
2001.10.10初版。400字詰め491枚の書き下ろし。
家族小説。さすが村上龍。タイミングよし、万全の取材よし(笑)。
引きこもりと家庭内暴力、ドメスティック・バイオレンス、という旬のテーマをがっちりとらえ、じきにTVドラマも放映される、らしい。時代を商売にする作家、だな。
などと揶揄するのはこのへんでやめておいて。
『希望の国のエクソダス』よりはなんとなく好感が持てました(面白さは別ですがね)。テーマが、現実により密着したものだからだろうか。もちろん、上智か津田塾を受験する子というのは一般的ではないだろうし、引きこもっているときに社会とそんなに関われるものかどうかというところも疑問に思う。ようするに、特殊な――優秀な?――若者の話であり、引きこもりという社会状況そのものへの提言にはなりえないのではないか、と。
しかしそんなことをいっても始まらない。プライドが邪魔をして会社の業績悪化を家族にいえない愚かな父親なんかは、あわれなぐらいよく書けているし。
DVについてのエピソードが尻切れトンボなところ(しかしそうしなくてはならない理由はちゃんと書かれているので納得できるんですがね)や、母親の妙な不倫(?)問題や、あれこれ不満はあるのだけれど、おもしろく読みました。
それにしても、決めどころでの誤植、さいごのさいごに近く、「知美」(娘)の名前を「昭子」(妻)の名前に誤植。さすが幻冬舎としか言えぬ。
テレビドラマ化を前提にした5年ぶりの書き下ろし。
「去年、教育関係のテレビ番組に出演した時に徒労感が残った。本当に伝えたい人たちは、裏番組のドラマやバラエティーを見ているんじゃないかと。とにかく大勢の人に発信したかったから、地上波の民放での連続ドラマが絶対条件だった」(10.11朝日夕刊)
バカはNHK見ないって読めるぞわたしには。
内山家は4人家族。サラリーマンの父に専業主婦の母と一男一女。西所沢の一軒家に住む、平均的な家族の崩壊。同じシーンがそれぞれの視点で繰り返し描かれているが、これをテレビドラマではどう加工するのか、一度くらいは見てみたい気になる。脚本・村上龍。監督・小田切正明。出演は樋口可南子、赤井英和、吉沢悠、松浦亜弥。
一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです。(p285)
さて、どう伝わるか。
2000.7.20初版。「文藝春秋」1998年10月号〜2000年5月号まで連載。
おもしろい。一気読み。
語り手セキグチに同じく、おれも経済のことはちんぷんかんぷんなんだが、それでもなにかわくわくする感覚と、その一方でうすらさむい感覚の、両方を感じることができた。
全国数十万人の中学生が不登校となり、21世紀になりたてほやほやの日本で、彼らは独自のネットワークを持つにいたる。法律を変えることは選挙権被選挙権の問題もあってむずかしいが、経済ならば……。かくして経済を牛耳った彼らは、無血革命ともいうべき方法で、じょじょに日本を変革していく。というような話。
『愛と幻想のファシズム』にも似た、リアルなようなファンタジックなような、そういう村上世界。はたして中学生にそれだけの能力があるかどうかはおれには疑問だが、もし彼らにそれが備わっていれば、もしかすると、というIF小説。じっさいに2000年代初頭にこんなことができるほど、中学生は成熟してもいなければ冷静でもないだろうけれど、2500年代ぐらいにはもしかしたらね。そのころには日本という国そのものがなくなってるだろうけど。
娯楽としても一級の、極近未来少年経済小説(なんじゃそりゃ)でした。(文春文庫版あり)
2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた――フリー記者の関口は、ある日パキスタン行きを命じられる。日本人の少年が地雷で負傷したという。CNNのインタビューに答えた16歳の少年は、日本を「死んだ国」と宣言。十日後、成田空港はバックパックを担いだ少年たちと、錯乱するその親たちで騒然としていた。以下抜粋引用。
“現代のもっとも大きな問題は高齢化社会と少子化です。ただ人口は別に少なくてもかまわないわけです。少子化は、全体の人口がさほど減らないのに労働人口が減ることが問題になっているのです。はっきり言いますが、老人はこの日本に必要ないのではないでしょうか。(中略)そこで提案ですが、現代の『姥捨て山』を作ればいいと思います。(中略)単純に隔離するのです。老人だけの町を作って、老人は一部の役に立つ人以外全員そこにある施設に住んでもらいます。(中略)その施設で勉強したり何かの訓練をしてもらって、技術や知識が向上した人だけは、山から戻ってもらうことにします。ただ、長く生きているだけの人は、もう必要ありません。(中略)どうして老人たちが汚した自然をぼくらがきれいにしなくてはいけないのでしょうか。(中略)大部分の老人たちは、働かず、勉強もせず、病気がちで、威張っていて、説教が好きで、演歌とか盆栽とかテレビの時代劇とかすでに滅びてしまったもの、国際競争力のないもの、外貨を生まないもの、暗いものを好み、悪いことは全部他人のせいにして、昔はよかったという口癖をしょうっちゅう繰り返し、努力をせず、そのくせまったく楽しそうに見えません。そんな老人たちとは一緒に暮らしたくありません。そんな老人たちをぼくらの労働で養うのはまっぴらだと、みなさんそう思いませんか?”(p209-210)
この“言い分”にわたしはほとほと感心してしまった。
上記はもちろんお話のごく一部で、中学生たちはもっと壮大なことをやってのけるわけですが、それは読んでのお楽しみ。
2000.9.10初版。『希望の国のエクソダス』を執筆するにあたって、著者が行なったインタビュー13本をまとめたもの。取材相手は金融・経済方面から文部官僚、インターネット実業家、果ては現役中学生やチーマーまで雑多。けっこう読みごたえのある内容で、興味深い。ヘッジファンドだソロスだなどという経済の話題はまーったくわからないが、それでもまあ頭のいい人がいて世界をうごかしているのだなあと実感。この手の“取材ノート”など、小説を読んだあとで(その小説が面白ければ面白いほど)楽しめるわけがないと思っていたのは間違いだった。おもしろかったっす。
メイキング・オブ・『エクソダス』。日本の危機と可能性を問う13のインタビュー。経済学者、為替ディーラー、インターネット関係専門家、現役中学生とチーマー(まだいるのね)による現場の声。都内私立男子中学生に対する、村上の開口一番いい。
村上:実はね、僕、小説家なんですよ。(p195)
まあ、とくに買わなくても。
2002.5.20初版。「週刊朝日」「文藝春秋」「Ryu's Bar」特番などに掲載あるいは放送された対談に、今年4月に語りおろされた(というのか?)終章・あとがき分を加えたもの。年月日でいうと、1997.12.4マルセイユ、1999.8.29ペルージャ、2000.12.18ローマ、2002.4.9パルマ、2002.4.12ミラノ(あとがき)、となる。
村上本(中田本)もまとめて読むとシンドイです。まあこれは対談集だけどね。各章のあいだにはさまれた、往復書簡ならぬ往復電子メールがほほ笑ましい。中田のが、ね。律義なヤツ、って感じ。
サッカーW杯たけなわ。気分を盛り上げるために読んだが、べつに盛りあがらない。
村上龍(50)と中田英寿(25)。トシは倍違うのに惹かれ合う作家とサッカー選手。作家とサッカー……すいませんダジャレかと思ったもんですから。1997〜2002、つまりフランスW杯前のマルセイユの対談から最新のパルマの対談までの5年間の交流録。対談と38通の往復eメールという構成。ファン向け。にわかサッカーファンでも大丈夫。
それにしても、p118の「ローマ市内のホテルにて」の写真。ジャグジーにつかったハダカの2人が、フルートグラス片手に微笑んでいる。ホモくせー。対談の中で、現場にはカメラマンもいたと言い訳しているが、「龍さん」「ヒデ」だしなあ。ふはは。そんな2人の対談はともかく、eメールが原文ママということは、まず考えられない。「ところでヒデ、大黒摩季とはどうなのよ」くらいのやり取りはあるでしょう。教えろ。
2001.10.15初版。掲載誌、単行本刊行年不明。不親切な文庫だ。いまはなき「週刊宝石」? まあどうでもいいや。
シドニー五輪出場決定のころからイチローの渡米直前あたりのスポーツコラム集。まあどうでもいい内容です。中田とお友達でよかったね、と。
いや、一部にはうなずける論もあるんですが、しかし全体を見渡すと、どーってことないスポーツエッセイに終わってるんですね。肩が凝らなくて、それはそれでいいんですけどね。
2001.11.21初版。eメールの達人・村上龍が教えるeメールマスターになる秘訣。なんだよeメールマスターって。
「はじめてのeメール」の書き方から、箇条書きや引用などの細かいテクニックまでを懇切丁寧に説明。仕事やプライヴェートで自らやりとりしたメールを堂々公開の実例集つき。さいきんの村上龍は「わかんない人にわかるように伝える」ことに腐心しているように思える。
last updated : 2003/3/26
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